今年初の記事である。
思えば昨年の1月にブログをはじめ、ほぼ1年。
加速したり、失速したり、はたまた停滞したり。
色々あったがとりあえずの一区切りとして1年は我ながらよくやったと思う。
さて今年のブログはどうするか?
もちろん継続はするつもりだが、少々中身を整理していこうかなとは思っている。
具体的にどうするかはまだ検討中。
まあ、とりあえずまだしばらくは思ったことをランダムに書いていこうと思う。
昨日、下北沢にある「しもきた空間リバティ」で行われた
手話文化村主催
「聾福袋3」に行ってまいりました。
手話の読み取りもろくにできないのに無謀だったかもしれないがこのイベントに出演するメンバーが凄いのだ!; ̄ロ ̄)!!
米内山明宏、砂田アトム、緒方リナ、モンキー高野、数見陽子、河合祐三子、ロブロイ(敬省略)。
知らない人には全く知らないだろうがこれだけのメンバーを一度に見れるイベントに行かない手はありません。
というわけでわしは、不安を抱えながらもこの「聾福袋3」に単身潜入してきたのだ。
受付でチケット代を払うのだが受付にいるのはもちろんろうの方。
わしは事前に予約をしてあるので名前を言わなくてはいけない。
もちろん手話で、である(-。-;)。
さあ、わしの手話が通じるか・・・
かすかに震える手で自分の名前を手話で示す。
すると、相手はすぐにわかったようでわしの名前の書いた封筒を出してチケットをくれた。
おぉー、わしの手話通じるじゃん( ̄ー+ ̄)。
って名前ぐらいは当たり前か。
幸先の良いスタートに気分を良くしたわしは会場に入り適当な所に座った。
周りを見渡すとあちこちで手話で会話をしている人達がいる。
ところが声で喋っている人達も意外と多かった。
わしと同じように手話を勉強している人達かなー(・o・)。
そして「聾福袋3」いよいよスタート。
いろいろなテーマにそって繰り広げられるコントの数々。
「緒方リナとモンキー高野の珍デート」「緒方リナの男性の口説き方講座」「砂田アトムの就職訓練」「ロブロイのおかしな床屋」等など(ちなみにタイトルはわしが勝手につけた)。
どれもこれも大爆笑であるヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆
正直、手話は読み取れないところもたくさんあったが、それでも大体の内容はわかった。
数あるコントの中でも米内山さんがやった
「手話を忘れた男」は最高である。
米内山さんと言えばこの世界のカリスマ的存在でもあり、手話の本も多数出されている。
その米内山さんが手話を忘れるという設定がたまらなく面白い。
セリフにも「いやー、最近手話使ってないから忘れちゃった」とか言ってるし面白すぎ。
とにかく笑いっぱなしの2時間だった。
こういったものを見ると手話と言うものが視覚表現であるというのがすごく良く分かる。
たとえ手話がわからなくても、表情や仕草などの動きで非常に多くのメッセージが伝わってくる。
そう、手話といっても手があらわす言葉だけが手話ではないのだ。
人によってはそれがオーバー、おおげさな表現であると思うのかもしれないがわしはそうは思わない。
なぜなら手話の勉強をはじめてみて感じたのが世の中のほとんど人達って身体を使った表現をしないなあと言うこと。
それは表情であり身振り手振りであり。
多くの人がまるで能面のように表情のないまま「うん、うん」と声だけを返す。
まあ、そういうわしも職場のろうの人に表情が無いと言って注意されているので人の事は言えないのだが(^。^;)。
「聾福袋3」が終了し、帰りの電車の中でも興奮は冷めやらぬままだった。
しかし、同時に手話の勉強をもっともっとがんばらなくてはと感じるイベントでもあった。
もっとわかりたい、もっと伝えたい。
今年も地道に手話の勉強を続けていくが、年内の目標としてはやはり一切筆談なしで会話ができるようになる事だな。
もちろんそんな簡単に手話がマスターできるとは思わないが、まずは身近にいる職場のろうの人達とは不自由なく会話ができるようになりたいと思う。
うん、今年最初のブログで上手い具合に1年も目標も立てることができたぞヾ(@⌒▽⌒@)ノよしよし。
次回の記事はいつになるかわかりませんが、今年もマイペースにやっていきますのでこのブログを訪れる皆様方、よろしくお願いします<(_ _)>。
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「七人のマッハ!」を観にいった。
アクションは予想通りすごかった∑( ̄[] ̄;)!!
信じられないくらいの生身アクション(゜)/(゜)/(゜)/(゜)/(゜)/オォー。。
わしは映画観ながら手に汗を握りながらずっとびくっ、びくっと筋肉が反応してしまった…o(;-_-;)oドキドキ♪。
しかしストーリーは・・・・
つらいです、観ていてつらくなる映画です(T▽T;) 。
クスリとも笑うシーンは全くありません。
アクションシーン以外はとにかく気持ちが落ち込む映画です。
アクションシーンがメインの映画であるのなら、もっとシンプルに、もっとスカッとするような勧善懲悪の内容にしてもらいたかった。
タイトルのつけ方もちょっとひどい。
いくら監督が同じでも
「マッハ!」とは全く関係のない作品だし、七人というのもはっきり言ってあんまり意味がない。
なんでこんなタイトルつけたのか理解に苦しむのだ( ̄ヘ ̄)。
とまあ、けっこうひどく言ってしまったが、じゃあこの作品は駄作かといえば個人的には嫌いじゃない(笑)。
最初にも言ったがとにかくアクションは半端じゃない。
観ていてこんなに身体が反応する映画はほんと久しぶりである。
あとはこれにジャッキーチェンの映画のように軽快なテンポとコミカルさが加われば言う事なしなのだが、まあそれはあくまでもわしの好みということで。
劇場予告で
「マッハ!」主演のトニー・ジャーの次回作がやっていたが、そのタイトルが
「トム・ヤム・クン」( ゜ ▽ ゜ ;)!!ハア?
なめとんのか!!!!!(▼O▼メ)!!。
でも絶対観にいきます、はい(* ̄▽ ̄*)ノ"
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# by skinsense | 2005-12-14 22:10 |
映画
前にも話したが手話には現在、
日本手話と
日本語対応手話がある(この名称・分類については諸論あるが、ここではこの表現で統一する)。
で、みなさんこの二つの違いってわかります?
わし手話の勉強をしはじめて、初めて手話に2種類あることを知ったんだけど、正直最初の頃はどこがどう違うのかいまいちわからんかった。
色々と本を読んでいるうちになるほどと思えるようになったんだけど、人にそれを簡単に説明しようとすると案外難しい。
一般的な説明としては、日本手話はろう者が使う独自の文法を持った言語であり、日本語対応手話は日本語の文法に手話単語を対応させたものである、
となるが、これだけだといまいちわかりづらいよね?
で、この前ふと、ある例え話で説明する方法を思いついたのでちょっくら書いてみる事にした。
まず第一に必ずおさえておかなければならないのは日本手話は独自の文法構造をもった独立した言語であるという事。
つまり日本語、英語、フランス語、中国語のように日本手話もまた一つの言語であるのだ。
あんまりピンとこなくても、とりあえずここではそうなんだと認識してちょーだい。
で、日本語対応手話というのは日本語の文法構造に手話単語をあてはめていったもの。
つまり日本語対応手話は手話単語を使用しているが中身は日本語の文法によって作り出されたものである。
さー、ここからが例え話である。
言語である日本手話を英語に置き換えてみよう。
それから日本語対応手話をローマ字に置き換えてみる。
すると・・・(・◇・ )。
ローマ字というのは日本語をアルファベットで表示したもの。
しかしそこには英語独自の文法は存在しない。
それでも表記にアルファベットを使っているので英語を母国語をする人は読む事はできる。
しかしもし日本語を全部ローマ字で表記したとしたら、日本語の文法を理解していない英語を母国語とする人達には何を言っているかわからない。
つまりローマ字は表記方法は英語なのだが文法構造が日本語という、和洋折衷型の、悪く言えば中途半端な表現方法なのである。
駅名の表示などあちこちにローマ字で表記されたものはたくさんあるし、それ自体は外国人には役立っているだろうし、我々もローマ字を違和感なく読んでいる。
しかし日本語の文章全部をローマ字表記して、英語を母国語とする人にそれを理解しろとは誰も言わないだろう。
ところがもし日本で、ローマ字表記が正しい英語だと思われており、本来の言語である英語は英語じゃないと思われていたら・・・。
実は、日本手話の問題はそこにあって、世間一般に認識されている手話というものが日本語対応手話の方なのだ。
すると、こともあろうかろう者の使う手話を見て、日本語対応手話を覚えた人が、「その手話はおかしいですよ」などと言ってなおしたりするのだ。
日本人が英語圏の人の英語を聞いて、その英語は間違いだと指摘してローマ字を教えてやる!。
まったくありえない話であるΣ( ̄Д ̄;)!
一応付加えておくが、わしは日本手話、日本語対応手話の優劣を述べているわけではない。
比較の為、勢い日本語対応手話に対して不利な書き方になっているかもしれないが、そこはかんべんしてくれ。
わしにとって重要なのは、ろう者の同僚が日本手話を使っているという事。
だからわしは日本手話を学びたいという事、である。
しかし、世間一般的に捉えられている手話が日本語対応手話であり、日本手話が隅っこに追いやられている事はわしとしても腑に落ちない事である。
わしは今、少しずつだが日本手話を勉強している。
と言っても日本手話の文法はまだまだわからないことだらけ。
今のところ、わしの表現方法ではまだ日本語対応手話の方に近いかもしれない(日本語の文法から抜け出せない( ̄Д ̄;;)。
日本語と日本手話、近いようで全く違う言語。
新しい言語を学ぶつもりで覚えなくては日本手話を身につけるのは難しいだろう。
日に日に死んでいく脳細胞には少々しんどい作業だが、進めるところまでは進んでみようかと思う。
とりあえず地道にNHK「みんなの手話」は欠かさず見てます(^_-)はい。
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11月24日~27日、新横浜で開催された
「聾ろうロウ デフ・アート・フェスティバル2005」に行って来たヾ(@⌒▽⌒@)ノ!。
このイベントはろう者によるろう者の為のイベントであり、主に絵画の展示や映画上映、講演会などが述べ4日間かけて盛大に行われた。
わしは、職場のろう者の同僚と一緒に行って来た。
会場に埋め尽くされたろう者の人、人、人。
あちらこちらで手話が飛び交っている。
同僚も知り合いを見つけると、手話で話し始める。
当然ながらわしは何を言っているかほとんど理解できない。
それでも、同僚がわしを知り合いに紹介してくれるのでわしはつたない手話で自己紹介なんぞしてみる。
わしが聴者で手話を勉強中だとわかるとみんながんばってねと応援してくれる。
とてもうれしいね(゜ーÅ) 。
このイベントは講演会でも手話に音声の通訳はつかない。
ただし、外国の方の講演の時は、ASL(アメリカ手話)を舞台の上で日本手話に通訳してくれる。
といってもわしはASLはもちろん日本手話もまだまだ全然わからない。
それでもひとつの手話も見逃さないように一生懸命講演を聞いて、いや見ているとなんとなく伝えようとしているニュアンスはわかるような気がするのだ。
映画の方は字幕がついているので内容の方は問題なく見ることができた。
しかし、音声によるセリフや音楽、効果音などが一切ない映画はなんとも不思議な感じがした。
ろうである事をテーマにした映画、そうじゃない映画、コメディーやミステリーなどバラエティに富んでいてとても面白かった。
わしは土日の2日間このイベントに参加したのだが、その2日間、手話漬けの生活が出来た事はとても楽しかった。
もちろんだからといって手話が突然うまくなるわけではないが、大勢のろう者の人達と出会い、手話で会話をしたり、ろう者の人達が作る映画や講演を見ることで、わずかながらもろう文化というものに触れることが出来たような気がしたのだ。
わしが思うにろう者の人とコミュニケーションを取るということはただ手話を覚えるだけではダメだと思うのだ(-"-)。
わしも独学ながら手話の本を読んだりテレビを見たりして勉強しているが、同時にろう文化に関する本、ろう教育、歴史、ろう者の自伝など目に付くものは片っ端から読んでいる。
そのおかげで、わずかだがろう文化というものが見えてきたような気がするし、不思議と同僚の手話もわかるようになってきた。
ただしここでいう文化というのは絵画や映画など芸術的なものだけではなく、ろう者の人達の生活様式、習慣など、日常的な考え方も含んだものである。
手話は言語であり、日本語とは違う独立した一つの言語である。
この事を最近は実感として感じるのは手話をする時、声を出して喋りながらだとやりづらいという事。
だから最近は同僚と手話で喋る時は声はださない。
だって違う言語を同時に話すのって不自然でしょ。
言うなれば今までは日本語と英語を同時にしゃべっているようなものだったのだ。
といってもまだまだ日本手話の文法はさっぱり、カタコトの手話なんだけどねー( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。
とにかくこの2日間はすごーく楽しかったし勉強にもなったのだ。
でも、せっかく覚えた手話もまたしばらくすると忘れちゃうんだよねー。
あ~、ドラえもん暗記パンくれ~( 」´0`)」!-----------------------------------------------

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「私の頭の中の消しゴム」を観た。
わしの周りでもすでにこの映画を観た人がいて、「泣ける」と聞いていたのでそれじゃ泣きに行きましょうと言うことで泣く気満々で行ってきました(笑)。
病気でアルツハイマーになるというのはすでにわかっていて観ているので、病気が発症するまでの過程が非常に長く感じた。
主役二人のいちゃつき具合をみながら「いつ病気になるのかなー(笑)」なんて思ってしまった。
しかし結果的に言えば、このしつこいまでの二人の恋の過程が後半の感動を演出するには良い効果になっているのだ。
後半は予想通り、泣きました。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。。
号泣ですね、これは。
わし、コンタクトレンズしていったんだけど途中で涙と一緒に流れてしまった。
使い捨てだからそれはいいんだけど片目じゃ観づらいので暗闇のなかなんとかもう片方のコンタクトも外してメガネにチェンジ。
映画が終わる頃には目がまっかっかになっていたo(;△;)o 。
わし韓国映画を観たのはこれが初めて。
別に避けていたわけではないが、一連の韓流ブームというのは全く興味がなかったし、逆にアンチ韓国という気持ちもなかったわけではない。
でも、今回はストーリが気になったので観にいくことにした。
記憶が無くなるという点では以前に観た
「50回目のファーストキス」に通じるものがある。
ただし、今回の映画とは全くカラーが違うね。
「50回目のファーストキス」は泣けるけどハッピーな映画。
「私の頭の中の消しゴム」は悲しくてせつなくて泣く映画。
どちらがいいと言う事はないけど映画としては「50回目のファーストキス」の方が好きである。
でも、わんわん泣きたいなら「私の頭の中の消しゴム」かな。
前にテレビでも若年性アルツハイマーについて見たことがあるが、つらい病気である。
日々記憶を失う自分と向かい合う患者自身のつらさ、自分が忘れられていくのを受け入れなくてはならないそばにいる人のつらさ。
嫌な事は忘れたい。
大事なことを忘れずにいたい。
記憶と言うのは自分の都合どおりにはいかないものだが、良いことも悪いことも含めて記憶を積み重ねることができる事には感謝しなくてはいけないのかもしれないな(ーΩー )。
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# by skinsense | 2005-11-05 09:58 |
映画
日本ろう者劇団創立25周年公演
「ハンナ」を観てきた。
実はわしの知り合いがこのお芝居に出演していているのだ。
わし、恥ずかしいことに今までろう者の劇団があることすら知らなかったのだ(-。-;)。
当然今回が初めての体験となるのだが、一体どういうものなか想像すらつかず、期待と不安が入り混じった心境だった。
一応簡単にお芝居の内容を説明すると、ナチスドイツ占領下におけるろう者の人たちの差別、迫害を一人の女性ハンナを通して描いたもので物語自体はフィクションだが、そこに描かれている歴史的事実は実際に起こったことである。
驚くべきことに当時ドイツではろう者の人たちを「精神的劣性遺伝者」とみなし、結婚や出産を法律で規制していたのだ。
そんな時代ながらも一生懸命に生きていくハンナの姿はけなげであり、またろう者の歴史、社会というものを改めて考えさせられる作品だった。
お芝居はもちろん手話を中心に進められるのだが、実際の手話でのやりとりはろう者役同士での会話がほとんどで、聴者役の人たちの台詞は身振り手振りなどのジェスチャーを使い、全体として手話が理解できなくてもわかりやすい構成となっている。
それに手話の台詞は舞台両側に表示される字幕があるので観劇する分には手話を全く知らない人でも問題ない作品になっている。
わしも最初のうちは字幕を読みながらお芝居を見ていたのだが、そうすると肝心の手話をつい見落としてしまう。
幸い、最近手話も多少は理解できるようになってきたので後半はほとんど字幕に頼らず役者の手話を直接読み取っていった。
ろう者劇団の役者さんはみな表情が豊かであり、また手話をはじめとする動きがとでも綺麗だ。
音声による台詞がない分、まさに目が釘付けになって見てしまう、そんな感じだった。
主役のハンナはなんと上演中ずっと舞台に出っぱなし!
途中衣装が変わるシーンも舞台上でそのまま着替えてしまう(゜○゜)!。
わしは舞台経験者ではないので詳しくはわからないが、最初から最後まで舞台に出続けて演技するというのはとても体力がいることだと思うし、精神的な緊張感も常に保ち続けなくてはならないのだろうから、とてもすごい事だと思う。
上演が終わった後は、日本ろう者劇団代表米内山明宏氏と「ハンナ」の創作者であるレヴェント氏の対談。
もちろん手話通訳士が音声言語に通訳してくれるのだが、米内山氏の手話はなんとなく見ているとわかる単語もあるのだが、レヴェント氏の手話はフランス手話なので見ていてもさっぱりわからない。
一口に手話と言ってもやはり国が違うと全然別の言語なんだなー(゜~゜)。
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「手話でいこう―ろう者の言い分 聴者のホンネ」秋山のみ・亀井伸孝著を読んだ。
これは聴者である男性とろう者である女性が結婚し、二人がそれぞれの立場から見た世の中や身の回りのこと、日常の様々なエピソードなどが綴られている。
一般的にろう者はろう者同志でお付き合いする事が多い。
またろう者と聴者の組合せでも比較的多いのは男性がろう者、女性が聴者というパターンで、この本の著者のような男性が聴者、女性がろう者という組み合わせは少数派らしい。
理由は様々あるようだが、単純に言えば手話を学ぶ聴者は女性の方が圧倒的に多いという事。
手話というものが通訳士を含めてまだまだ生活基盤を支えるような職業になりえない現状が男性の手話への入り口を狭めているのは否めない。
で、この本はあんまり堅苦しいこと抜きに読んでいて楽しめるものである。
もちろんろう者の社会における差別、排除など真面目な問題も織り込まれているがほとんどが日常における聴者とろう者とのコミュニケーションにおける出来事がほとんどで中には思わず吹き出してしまいそうな話も沢山である。
わし自身が最近、職場でろう者の方とお付き合いすることがある為、本の内容はとても身近なものであり、読んでいて聴者とろう者の付き合い方ってこんな風なんだー、と感心してしまうこともしばしば。
最近、手話に関する本を読むことが多いのだがその中で特に強く感じていることが一つあるのだ。
それは
「手話は言語である」という事。
手話は決して音声による日本語を補うようなサポート的なものではなく、手話自体が独自の文法を持つ完成された言語という事。
日本語対応手話と
日本手話、この二つの違いを知っている人はまだまだ少ないと思う。
でも、わしは日本手話の言語としての完成度、そして表現のすばらしさに最近感心するばかりである。
まだまだ手話の単語を並べる程度だが、手話とのバイリンガルを目指してがんばっていこうかな、なんて考えているのだ(* ̄▽ ̄*)ノ"
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# by skinsense | 2005-10-27 21:42 |
読書
「他力」五木寛之著を読んだ。
最近好んで五木氏のエッセイを読んでいるんだが、とてもいいね(*^_^*)。
なんちゅーか、人生の肩の力が抜けるというか安心するというか。
この本は100の短いエッセイが集められており、その根底にはすべてこの本のタイトルの通り「他力」という五木氏の想いが込められている。
この「他力」という言葉、「他力本願」などどちらかというとマイナス的なイメージで使われることが多いが、実はそうではない。
一言でいうのは難しいのだが、世の中は「自力」だけでない大きな流れや力というものあり、たとえ自力であると思われることでもそこには「他力」の力が働いている。
五木氏は他力というものについて親鸞の言葉を引用して「わがはからいにあらず」と述べている。
なんかうまく説明できないから興味がある人は本を読んでちょーだい。
わしも最近は色々な意味でこの「他力」というものを感じる。
自分自身の身体を内観する事に一生懸命になっていたが故に、周りの意見・アドバイスが耳に入らず自身の身体感覚の声こそが正しいと思い込んでいた。
しかし最近のアレキサンダーテクニークをはじめとする他者のサポート、身の回りのいくつかの出来事、そして五木寛之氏の本との出会い。
人は他力によって生かされている。そんな風に言うと少々堅苦しいかもしれないが、わしはそんな言葉が今、あまり違和感無く受け入れられるような気がするのだ。
柔術の稽古は常に自分との「我」との闘い。
「他力」はそんな「我」がふっと離れてくれるような方向を与えてくれたような気がするのだ。
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# by skinsense | 2005-10-20 21:50 |
読書
最近、ブログの更新がだいぶ滞ってるな( ̄~ ̄;)
まあ、別に自分にノルマを課しているわけでもないのでのんびりと継続していきたいなとは思ってる。
さて、ニュースでみたんだけど、最近の子供の運動能力の低下が目立ってきているらしい。
びっくりしたのが小学生では
「跳ぶ」「走る」「投げる」などの基本的ともいえる動作の低下が顕著に表れているという事。
テレビでも運動能力調査の模様を見たが、その場から跳ぼうとすると膝から着地してしまう子、跳ぶことも出来ずに歩いてしまう子。
正直、愕然とした( ̄□||||!!
で、最近は子供の運動能力をトレーニングする施設があるらしく、そこで3ヶ月トレーニングをした子供達はちゃんと跳ぶことができるようになったとの事。
って、おい!!(`□´)!3ヶ月もトレーニングしないと今の子供は跳ぶことすらできんのかヾ(▼ヘ▼;)
なんか世も末だなーなんて思ったけど、今の世の中はそういう運動能力が必要とされてないのかもしれないのかも。
電車も車もあるし、今は自転車だって電気で動く。
階段なんかつかわなくてもエレベーターだってエスカレーターもある。
部活動をしているならともかく、現代の生活のなかで跳んだり、走ったり、ましてや物を投げるなんて事はできなくても困らないのかも。
で、面白いのがこの調査、青少年の運動能力の低下が目立つ一方、中高年では向上しているということ。
これらの世代はまだまだ遊び=身体運動で生きた子供時代だったし、今身体の使い方や食事などの健康を見つめなおして積極的に取り組んでいる世代もここらへんなんだろう。
職業の区別に
「ブルカラー」「ホワイトカラー」なんてあるが、今は世の中全体が
「ブルーカラー」から
「ホワイトカラー」の世代に移行してきているのかも。
なにしろ、パソコンなどのITに関する知識、能力は今の子供たちの方がはるかに中高年をうわまっているのだから・・・( ̄-  ̄ )
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# by skinsense | 2005-10-16 12:59 |
身体
先日、嫁と一緒にトレガーワークを受けに行った。
嫁は初体験、わしは2回目である。
「どこか気になるところはありますか?」と聞かれたので右の股関節の硬さと首の右側の緊張を話した。
わしはいつのころからか知らないが股関節がどんどん硬くなりここ何年かは靴下を履いたり、足の爪を切るのもつらいぐらいである。
えっ?太りすぎ!
あー、まーそれもあるけどね・・・( ̄∇ ̄;)
今回もじっくりワークを受けながら身体感覚に目を向けようとしたのだがやっぱりいつのまにか意識が遠くなる。
だって気持ちい~んだも~んヽ( ´ ∇ ` )ノ
さて、今回のワークで起きた身体の変化は、と。
これはワーク直後から感じたのだが身体全体が一つのかたまりになったような感じ。
もちろんそれは緊張したきゅうくつな感じではなく、身体のパーツパーツが全てつながり丸ごと全体としての統一感がある感じ。
歩いてみても、腕を動かしてみても、それがパーツとしての動きではなく身体全体が動いているような感覚である。そしてその感覚のせいか、立ち感覚が凄い安定している。
電車に乗っているとよくわかるのだが、どんなに電車が揺れても重心が足の裏から出て行かない。
いつもなら多少なりとも緊張が起こるのに、今は電車の揺れを身体全体で受け持っている感じ。
とっても不思議な感じである。
それからもうひとつ。
なんとなんと、右の股関節の可動がすっごく良くなっているのである。朝、靴下を履こうと何気に股関節を曲げたらすっと曲がるではないか!!
一瞬、信じられなくて何度も靴下を履く動作を繰返してみた(笑)。
わし、股関節は最近、特に時間をかけてストレッチをしているのだが少しずつ動きが良くなってきたな~とは思ってたけど、まさか1回のトレガーワークでこんな風に変化するとは・・・ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!!。
わし、
ストちゃんに出会ってからは、
「伸ばす」ではなく
「緩める」事の凄さは実感していたが、今回の現象もかなりの衝撃である。
わしの股関節に一体何が起きたのか?いやそれとも全然違う所に起きた変化が股関節を緩ませたのか?
(;゜ロ゜)ハッ!!、まさかわしの知らないうちに筋肉弛緩剤でも注射されていたのか(笑)。
わしはストレッチをするときもなるべく「緩ます」事を意識してやっているのだが、今回の結果を見る限りわしのやっている方法とは根本的に違うのかもしれない。
身体が変化するキーポイントとは一体何々だろう。
自分の身体ながらまだまだ未知の部分が多い。
また一つ考えなくてはならない課題が出来たような気がする(-_-)ウーム。
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# by skinsense | 2005-10-06 19:54 |
身体